通常、人は生まれてから何らかの原因で死亡するか寿命が来て死ぬまでの間生きます。
その間、本来であれば「生きる為に必要な理由」などというものは必要ありません。
生きることに目的などはないのです。
でも、多くの人々が生きることに目的や意義を見出そうとしています。
「自分は●●がしたいので生きている」
「自分は▲▲の為に生きている」
でも、●●や▲▲がなくても生きることはできます。
目的はなくとも、ただ単に生きることは可能なのです。
ところで、人間だけではなく哺乳動物も目的意識を持ってアクションを起こすと、記憶力が高まったり運動能力が向上します。
マウスを迷路に放してゴールまでの到達時間を計ってみると、エサをゴールにおいてエサという動機付けをした場合と、ただ単にゴールさせたのでは、ゴールへの到達時間に明らかに差が出たんだそうです。
この動機付けについては、人間にも当てはまるようです。
ですので、動機付けてである●●や▲▲が必要に思えてきてしまうわけです。
それはそうと、先ほどのマウスの実験ではマウスをエサでつっていましたが、食べ物が豊富に手に入る生物(人間に限らず)の場合、食物は動機付けとして働きづらいです。
例えば、お腹いっぱいの犬をえさで釣って調教するのは非常に困難です。
お腹いっぱいですので、エサは欲しくないと思い、動機付けとして作用しないからです。(このような場合は、美味しいえさを与えて調教したり、飼い主に褒められることを嬉しく思うようにしつけることで対応します)
食物の動機付けは人間でも同じことが言えます。
お腹いっぱい食べることの出来る人には、通常の食物は動機付けとして不十分です。
「より美味しいものを得る為に」という事を動機付けとして用いるのもありかもしれないですが、食物に関してさほど執着しない人の場合、食物の動機付け自体が困難になると思います。
ですので、このような場合は、食物以外の動機付けが必要となりますが、この際に古い脳(小脳や脳幹)にダイレクトに働きかけるもので満足できる人もいれば、それでは満足できない人もいます。こういった場合には、もっと高次元の動機付けが必要であり、それが●●や▲▲なのです。
自分にとって大切な生きる目的を見つけるのは一苦労ですが、一度生きる目的を見つけることが出来たならば、その人はエサを食べる為に必死になってゴールを目指すマウスのように、行動力や能力が向上し、幸せに生きることが出来るようになるのかもしれません。
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|-*∩ 偉そうなことばっかり言うてるけどな、
|(ェ)・) ホンマは何もわかってへんねん・・・
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